☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。
現代のインターネットの普及と、コロナ禍も相まって、近年では、スマホやパソコンで、手軽に本を読んだり、動画を見たりできるサービスが充実してきました。
その中で、ある作品に出会いました。『日日是好日』という、茶道をテーマにした映画で、原作は、森下典子のエッセイです。『にちにちこれこうにち(こうじつ)』と読み、中国の雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の言葉だそうです。
主人公である女子大生の頃の著者が、近所のお茶の先生の家に、お茶を習いに行き始めることから物語は始まります。その茶室に、ある時かかっていた掛け軸の一つが、この『日日是好日』なのです。直訳すると、「毎日がいい日だ」となるわけですが、この作品の中で読者に語りかけていることを私なりに解釈すると、「どんな毎日も味わい深いものだ」といった感じでしょうか。
原作のエッセイでは、ー「お茶」が教えてくれた15のしあわせーという副題がついており、お茶の作法を通し、そして25年余り通い続けた中で気づいたことが、いろいろと書かれているのです。
私は、映画を見て、原作を読んで、この作品はまさしくマインドフルネスであると感じました。マインドフルネスとは、五感を使って、”今この瞬間”に心のレーダーをめぐらせ、あるがままの自分の状態や体験を観察することです。私たちは、刻一刻と過ぎる時間の中で、無意識にも意識的にも、あらゆることを考えています。「晩御飯は何にしようかな。昨日は食べすぎたから、今日は少しヘルシーにしよう。」、「あんなこと言わなければ良かった。私はおっちょこちょいだから、つい余計な一言を言ってしまう。ダメね。」といった具合に、考えては、選択し、判断し、評価し、決定を行っています。もちろん、これらのことをするからこそ、日々をスムーズに過ごすこともできるのですが、一方で、とらわれが生じてしまうことで、悩みや生きづらさの迷路に迷い込んでしまうこともあるのです。
「天気が悪い」というと、皆さんはどんな天気を想像するでしょうか。薄暗い雲が広がっている情景、しとしとと音が聞こえてきそうな静かな雨が降っている情景、はたまた土砂降り。しかし、「悪い」なんて誰が決めたのでしょう。ここにも、個人的な評価や判断が入っているのです。
雨の日には、雨を見て雨を聞き、晴れた日には、陽の光を感じる。日本には四季があります。春には花を見つけ、夏は緑の微妙なグラデーションを楽しむ、秋には虫の声に耳を傾け、冬は顔に当たるひんやりとした空気を感じる。今日という日が、また巡って来ることは無く、今この瞬間も二度と訪れない。ならば、一日一日を、今この瞬間をたっぷりと味わうことが『日日是好日』なのではないでしょうか。
過去を振り返ると、楽しかった思い出も、後悔して落ち込むこともあります。まだ見ぬ未来に対しては、心配事が尽きません。しかし、過去にはどうしたって戻れないし、未来へ行って完璧な準備をすることもできないのです。こうして、気持ちがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちは、不安や悩みが尽きず、すぐに心がキャパオーバーになって、へとへとになってしまいます。
こうした心を落ち着けるためには、しっかりと今この現実を生きること、今を生きてることを実感し、味わうことです。不安や心配事でいっぱいになり、心が今この現実から離れると、私たちはいとも簡単にたくさんのことを見落としてしまいます。過ぎてゆく一瞬一瞬は、砂時計の砂がサラサラと落ちていくように、気を抜くとこぼれ落ちてゆくのです。
過去でも未来でもなく、一瞬一瞬の連続でできている”今現在”に、”ここにいる私”が没頭できた時、本当の意味でしがらみから解き放たれ自由になれることでしょう。
(月と稲穂)