心の丸窓(76)
<曖昧性の中に佇む −ネガティブ・ケイパビリティ−>

☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。

ここ最近、時間を見つけては本を読んでいます。日本のベストセラー小説、思想書、海外小説、政治家がおすすめするエッセイ…。すらすら読めてしまうものもあれば、小難しくて途中で投げ出してしまう本もあります。その中で、海外の文豪がおよそ100年前に著した短編集が、ふと手を止めさせました。なぜなら、「よくわからない」からです。

その文豪は、簡潔な状況描写を通して、直接的に言及されない心情を表現していく小説スタイルが特徴だとされています(いわゆる、ハードボイルド小説と呼ばれるものです)。確かにストーリーは、主人公の心情が時折簡潔に言葉にされるだけで、あとは「何が起きているのか」という状況だけが淡々と描写されたまま終わりを迎えるのです。「このストーリーは何を伝えたかったんだ?」すぐに答え合わせをしたくなる衝動に駆られている自分のネガティブ・ケイパビリティの低さに気づかされました。

ネガティブ・ケイパビリティとはすぐには明快な答えの出ない曖昧さや不確実な状況に耐える能力のことです。もともとは、19世紀初頭に活躍をした、英国の詩人のジョン・キーツが手紙の中で使った言葉です。キーツは、シェクスピアが素晴らしい作品を残したのは、ネガティブ・ケイパビリティが桁外れに有していたからだと考察しています。

今の世の中は、わかりやすさが非常に重視されています。映画やドラマ、漫画、小説、ゲームなどに触れても、起承転結がはっきりしていて、明瞭なオチがあるものが一般的に好まれるでしょう。投資、時事問題など一見複雑そうなテーマについても、「わかりやすさ」を銘打った解説本やサイトがごまんとあります。
いろんな選択肢があるから、わかりづらいものにあえて手を出す必要がありません。どうしてもわからないことがあれば、インターネットで少し検索をすれば良いだけです。解説や解決法、正解を教えてくれるサイトがたくさん出てきます。物事に対して明瞭な理解が得られたり、すぐに正解が与えられた方が、私たちは安心できるのでしょう。

これは、物事をきちんとコントロールし、わかったことにしておきたいという気持ちの現れかもしれません。物事をきちんと把握しておき、わかったことにしておかないと、私たちは非常に心細く感じる傾向があるように思います。人間は概して、ネガティブ・ケイパビリティが低いのかもしれません。しかし、生活の中のあらゆる場面で、すべてを把握することは一体可能でしょうか。

実際の人間関係や日常生活場面では、わかりやすい説明やオチがついてまわるものではありません。これから先がどうなるかは必ずしもわかりませんし、相手が何を考えているかも正確にはわからないのです。世の中は不確定要素に満ちているのです。

ネガティブ・ケイパビリティが低いと、そのような事態は不快に感じられ、私たちはどうにか答えを出したいという衝動に駆られます。しかし一旦立ち止まり、曖昧さの中でしばしとどまってみてはどうでしょうか。

そこで頼るべきは自分の感覚と想像力です。すぐには言葉にならないような感覚を通して、想像力を巡らせていくのです。全知全能の神ではない私たち人間には、物事をすべてコントロールし、把握することは不可能なことです。しかし、曖昧性の中で佇み、今この瞬間に身を置き、感覚を研ぎ澄まし想像力を駆使することは、不確実性を乗り越える強い助けになることでしょう。

冒頭の短編集は、読もうと思えば一気に読み進められるボリュームです。しかし、衝動を抑えながら、1日に1話、少しずつ読み進めるようにしています。すぐにわかる必要はない、今この作品に触れることで自分は何を感じているのか、自身に問いかけ、そして想像の広がりに身を任せるようにします。このような時間の流れもあるのだという心地よさとともに。