☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。
最近、電車内で、未成年者の飲酒に対する注意喚起の広告をよく見かけます。周囲の大人に対しては未成年者に飲酒を勧めないように、そして、未成年者自身に対しても飲酒の勧めを断るようにと、双方に勇気をもって責任ある行動を促す広告です。未成年者の飲酒による害についても簡潔に説明されています。実際、飲酒が未成年者の心身や知的な発達に与える影響、生活・行動面での問題などを考えると、ここには重要な内容が含まれていると言えます。目立つ色で表現もわかりやすく、メッセージが明快に伝わって来る広告です。
一方で、TVでおなじみのタレントが、爽やかな笑顔で、あるいは味わい深い表情で、お酒を手にポーズを取ったりしている酒類の各社の広告も、だいぶ以前から電車内を賑わせています。こういった広告は、見た者に好印象を与えつつ、お酒を飲みたい気持ちを心地よく刺激してくれます。また、テレビモニターのついた車両では、アルコール飲料の企業のCM映像も流れたりしていて、こちらもとても美味しそうです。しかし、考えてみると、お酒の広告に囲まれて、朝から飲酒欲求への刺激を受けながら通勤通学しているというのは、何だか不思議です。
そして、こうして同じ電車内に飲酒を(特に未成年者について)戒める広告と、飲酒への欲求を刺激する広告が共存している光景も、あらためて考えれば不思議に思えます。と言っても、こうした二種の広告がすぐそばで掲示されているところは見た事がありません。同じ車両でも離れた所に掲示されているのには何らかの配慮もあるのでしょうか。乗客にとっても、相反する二つの広告が同時に目に入ったら、混乱してしまうかも知れません。
もし、飲酒を禁じるメッセージの横で、好きなタレントがお酒を飲んで幸せそうにしている様を見せられたら、未成年の方はどう感じるでしょうか。大人の方にしても、爽やかなお酒の広告を見て、今夜は何を肴に飲もうか、などと楽しく想像する横で、未成年者へのお酒の害を説かれたら、如何でしょうか。日頃の飲酒量が多い方であれば、本当は未成年だけでなく大人である自分にだって酒は有害なのだという、忘れていたかった事実を突き付けられて、気持ちも冷めてしまうのではないでしょうか。
人の心の中には、色々な思い・欲求が渦巻いていますが、なかには互いに矛盾するものもたくさんあります。矛盾する欲求同士、あるいは、欲求とそれを抑えようとする思いが衝突し合うと、非常に苦しくなってしまうので、衝突を防いでその場を凌ぐための心の動きが日々生じています。例えば、健康も優れなくなっているからお酒は我慢しようと決意したら、その時はお酒を飲みたい気持ちなど忘れたつもりになり、しかし、お酒を前にして飲みたい気持ちが強まってきたら、先ほどの決意などなかったかのように振舞ってしまえる仕組みが心にはあります。お酒を戒めることとお酒を勧めることという、相反するメッセージをもった広告が車内の離れた所に掲示されていて、一方を見ている時は、他方は見えず、見る者は無用な混乱をせずに済んでいるのは、そのような心の仕組みと通じるところがあります。
とは言え、心の衝突の場合、その場凌ぎで一方をなかったことにするばかりでは、本当の解決にはならないということは忘れてはならないでしょう。
(鰯:記)