☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。
うつ病などの心の病で受診された方から、ときに「私は自律神経失調症ではないのでしょうか?」と尋ねられることがあります。一般の方には比較的馴染みのあるこの病名はしかし、今日精神医療の現場で使われることはほとんどないので、さてどうご説明したものかとしばし思案することになります。今回はこの病名についてお話ししましょう。
そもそも自律神経とはどんな神経なのでしょう。私たちの身体には、生命を維持し、活動を行うのに最適な身体の内部環境を調整するためのさまざまなシステムが備わっています。内分泌(ホルモン)系や免疫系と並んで重要な働きをしているのが、脳の視床下部という所を中枢とする自律神経システムです。この神経系は意志とは無関係に、その時点での活動状況に適した内部環境を自律的に調整しています。
自律神経システムには交感神経系と副交感神経系という2つのサブシステムがあり、循環器(血圧や脈拍)や呼吸器(気道の拡張や収縮)、消化器(胃腸の動きや消化液の分泌)などさまざまな臓器を双方が拮抗しながら、ときには協働しながら調整をしているのです。このような自律神経システムに体質的な脆弱性を抱えている場合があります。そのために調整の不調をきたしやすい方には、起立性低血圧(立ちくらみ)や発汗異常、便通・排尿の異常や体温や呼吸調整の異常などさまざまな身体の不具合が生じます。これを本態性自律神経失調症と呼びます。ところが自律神経系の中枢である視床下部は、記憶や情動、意欲に密接な関わりのある大脳辺縁系というさらに上位の中枢からの強い影響を受けているので、自律神経システムに体質的な問題がなくても、情動や意欲、ある記憶に結びついた感情や気分の不調に伴って自律神経系の不具合が生じることがあります。つまりうつ病やさまざまな神経症に伴って、上で述べたような多様な身体不調が生じることがあり、臨床上はそのようなケースの方がはるかに多いのです。
個々の方に生じた病態を身体的な観点から捉えて「自律神経失調症」と呼ぶのが良いのか、それとも精神的な観点から捉えて「うつ病」や「神経症」と呼ぶのが良いのか。治療を前提に考えるならば、うつ病と神経症とでは対応が随分と異なりますし、身体のレベルでどういうことが起こっているかということより、その不調の本質に迫る呼び方をする方が私は良いと考えています。
しかし少なくとも日本では、自らの不調を心の病より身体の不具合と捉えることを好む傾向があるようで、身体的検査所見を伴わずに生じるさまざまな体調不良の訴え(不定愁訴)があると、その根本にある心の病を丁寧に見立てることなく、「自律神経失調症」という便利な病名をつけて済ませてしまうことがときにあるようです。私たちは、より適切な治療を行うためにも、自律神経の不調の背後にある病の本質を、患者さんご自身と一緒に考え理解したいと思っています。
(カラマツ林の梟 記)