心の丸窓(44)
「母と暮らせば」を見て

☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。

先日「母と暮らせば」のDVDを見ました。1945年8月9日11時2分、長崎の町は一発の原子爆弾で焼け野原になりました。そのような状況下での、ある人々の生き方が描かれた作品です。爆心地近くの長崎医科大学で被爆し死んだ息子を嵐の二宮和也さんが、生き残った母親を吉永小百合さんが、そして息子の恋人役を黒木華さんが演じています。原子爆弾の恐ろしさや戦争の悲惨さなど、さまざまなテーマがこの作品には込められていると思いますが、私は吉永小百合さんが演じた「母親」の心情に注目したいと思います。


 被爆前、既に夫と長男は他界しており、彼女はこの次男と二人家族でした。その状況での息子の急な死は、到底受けいれられるものではなかったろうと思います。映画の中では、息子は幽霊として登場します。この幽霊は、息子の死を受けいれられなかった母親が、せめてもの慰めとして見た幻影だと私は思います。


実際の生活では、母親は亡き息子の恋人と、まるで親子のように支えあいながら生きていました。その状況に母親は安堵しつつも、このままでは彼女の将来を奪ってしまうとも悩んでいました。ことあるごとに「誰か良い人がいたら、息子のことは忘れて」と母親は息子の恋人に言うのですが、恋人も母親から離れることを拒みます。最終的には「ご飯食べて行かない?」と母親が言い、支えあう二人の生活が続いていきます。母親は、彼女の中に死んだ息子を見ていたからこそ、手放すことができなかったのでしょう。


ある時息子の恋人が、自分の娘を原爆で失ったある女性から、「何であなたが生き残ったの?」と責められたという話を母親にします。母親は、「その人は気が動転していたのよ」と息子の恋人を庇います。それは彼女の本心でもあったのでしょうが、この「何であなたが生き残ったの?」という責めも実は母親の中にもあったものではないかと私は思いました。「何であなたが生き残ったの?」は、生き残った息子の恋人に対する母親の怒りでもあったでしょうし、生き残った自らを責める言葉でもあったに違いありません。また、自分を置いて先に死んでしまった息子に対する「何であなたは死んでしまったの?」という怒りすら含まれていたのだと思います。他にも母親のさまざまな心情がこの作品には描かれていますが、ここではこの辺までにしておきたいと思います。


 私はこの作品を見て、人は大事な人を喪った時、この母親のようにさまざまな思いを抱くのだなぁとしみじみと実感しました。死者に対するこうした複雑な思いを消化していくことこそ喪の仕事(☞心の丸窓25.35.36)と呼ばれる心のたいせつな営みなのですが、その苦渋に満ちた大変さを改めて痛感しないわけにはいきません。喪の仕事を一人で行うことは多くの困難を伴うことで、精神分析や精神分析的精神療法はその一助になると言えるでしょう。


(湖底の月 記)

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