☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。
日々生きていく中で誰しも、喪失を経験することは避けられません。近しい人と死別・離別する、仕事や役割を手放す、若さや健康を失うなど、とても残念なことですが、人は大切なものを失いながら生きています。喪失に向き合う時、人は自然な感情としての「鬱」を経験します。力を尽くして生きていればこそ、「鬱」はこの上なく悲痛で辛いことのように感じられ、時に絶望的な気持ちにまで追い詰められることもあるでしょう。
しかし、「鬱」を辞書で引くと、「草木が茂るさま、物事が盛んなさま」と記されており、本来の意味は、エネルギーが満ち溢れ、生命が豊かに育まれていく様子を表わしていました。例えば、「鬱蒼とした森」などという表現で用いる場合、むしろ肯定的な意味だったのです。第二義的に、そうしたエネルギーや生命力の出口が塞がれてしまい、悶々としている病的な状態を指すようになったようです。普段、気分障害の症状として「うつ」と言う場合は、この二番目の意味を示しています。
実は、喪失体験のさなかで、森が育つように何かが心に生み出されていく、それが本来の意味での「鬱」です。治療とは、環境調整・薬物治療・精神療法など様々な工夫を凝らしながら、病的な「うつ」の出口を掘り起こし、本来の「鬱」をしみじみと体験出来るようにしていくことなのかもしれません。
(耕雲 記)